NATURAL THERAPIES OVERSEAS

●鍼灸師免許を取得しました 東洋医学とともに歩むセラピストの道、
これまでとこれからと●
2012年(冨野玲子)

「東洋医学を学びたい!」
長年抱いていた夢がやっと叶い、鍼灸学校の夜間部を 今年2012年3月に晴れて卒業し、鍼灸師免許を取得するこ とが出来ました。

鍼灸師免許を取得することが出来ました

サポートして下さった皆様、本当にありがとうございました!
セラピストとしてフルタイムで仕事をしながら夜学で学んだ3年間は、人生で最も慌ただしく、そして充実していた3年間でした。 授業後原宿駅まで猛ダッシュしている姿や、山手線の中でパンを食べている姿を生徒さんに見つかって恥ずかしい思いをしたことも(笑)。 試験前は寝不足でフラフラだったり、治療院で行う臨床実習で緊張してカチカチだったりしたことも、今では良い思い出です。

誰かに強要された訳ではなく、大人になってから自分で選んだ「勉強の道」。 子供のころは勉強が大嫌いだった私が、わざわざ「学校」という環境に大人になってから飛び込むなんて、人生って不思議ですね。

「何故、鍼灸学校に行ったのですか?」
「これから、どうするのですか?」

という質問を生徒さんからよく頂きますので、私の東洋医学との出逢い、セラピストとしてのこれまで、そしてこれからを綴ってみたいと思います。

“涼しい”お茶ってどういうこと!? ベトナムで東洋医学と衝撃の出逢い

20年前、大学時代に「人と違うことがしたい!」と思い、ベトナムに留学した私。

ホームステイしながら、ホーチミン市総合大学に通っていました。そのベトナムで、人生を大きく変える、ある出逢いがあったのです!元々皮膚が弱い私は、慣れない生活によって、顔中にニキビが沢山できてしまいました。

ベトナムは、世界でも有名な“美人大国”で、周りは肌がきれいな女性ばかり。私はとても目立っていたみたいで、道を歩いていても
「どうしたの?その顔」と話しかけられたり、顔を覗き込まれたり。
「大きなお世話だよ~!ほっといて~!(泣)」と内心思っていました。

ある時、市場で、知らないオバチャンが「あなたは熱いから、“涼しい”お茶を飲みなさい」と私を招き入れ、一杯のお茶をご馳走してくれました。アイスティーをくれるのかと思ったのですが、出てきたのは、温かいゴーヤー茶・・・。その時は、語学力不足で聞き間違えたのだと思い、黙って温かいそのお茶を頂きました。

ところが、後日、今度は別の世話焼きオバチャン(またもや知らない人)が、「あなたは“涼しい”お茶を飲みなさい」と同じことを言ったのです!そして、出てきたのは・・・またもや温かいお茶!(今度はアーティチョークのお茶でした)。

湯気の立つお茶を前にして、「これは聞き間違いではない!“涼しい”というのは、温度のことではないのでは?」と思い始めました。その後も、ベトナム人から色々とアドバイスを頂きました。

●ビールは“熱い”から飲んではダメ!
●トロピカルフルーツは“涼しい”けれど、マンゴー、ドリアン、パイナップルは“熱い”ので注意!
●ココナッツジュースは“涼しい”からニキビには良いけれど、飲みすぎると風邪を引くよ!

そして、やっと気づきました。「“温度”ではなく“性質”のことを言っているのだ!」と。これが、東洋医学の基本となる「陰陽論」との出逢いでした。他にも、ベトナムでは、目から鱗の健康法をたくさん学ばせて頂きました。

 

風邪や肩こりには、ヘラで皮膚を擦る健康法「カオヨー(中国語では“かっさ“)」

頑固な慢性症状には、ガラスのカップで吸引する「ヤッホイ(吸玉)」

針で少量出血させ気血の巡りを改善させる「チックレー(日本語で刺絡)」

健康増進のための足、顔、身体のマッサージ

などなど。
誰かが具合が悪くなると、家庭で民間療法を行い、あっという間に改善してしまうのです!朝早く起きて、太極拳やバドミントンで汗を流すホストファミリーには、健康に対する気迫すら感じられました(笑)。

そして、「日本では、具合が悪くなるとすぐに薬を飲んでいたけれども、本当は、ベトナム人のように自然な方法でケアした方が体には良いのではないか・・・?」 と思い始めるようになったのです。

 

自動車会社での不健康時代・・・

自動車会社勤務時代

べトナムで健康オタクに目覚めたのもつかの間、大学を卒業して就職した後は、怒涛の日々が始まりました。自動車会社で海外営業部に配属され、6時前に起きて出勤し、終電近くで帰る日々が始まったのです。
配属3か月後には早速のベトナム出張。その後、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ・・・販売や展示会で世界を駆け回る日々。30ヵ国近く、時には1ヵ月以上、常にスーツケース2~3個担いで海外出張に出る日々を過ごしました。

仕事は楽しかったものの、身体は常にヘロヘロ状態・・・肩こり、アトピー、花粉症など、不定愁訴のオンパレードでした。疲れが抜けず、とうとう「朝5時に起きたつもりが、なんと夕方の5時だった!」という大寝坊事件もやらかしましたよ(笑)。

そんな私の密かな楽しみは、海外出張先で、寝る間を惜しんででも訪れた現地のマッサージ。
●タイではお寺でお坊さんからタイ古式マッサージ
●香港では町の中医クリニックでリフレクソロジー
●スペインの温泉地でスパマッサージ
●モロッコの豪華ホテルでエステ

など。
あらゆるジャンルの施術を受けまくっては、ベトナムでの健康的な生活を走馬灯のように思い出し、現実逃避していたのです(笑)。

 

リフレクソロジーを学び、そしてイギリスへ!

ある時、お稽古でも習おうと雑誌を見ていた私は、仰天しました。「リフレクソロジーコース開講」の文字を発見したのです!「えー!?あの香港で受けたReflexologyが、日本で習えるなんて知らなかったー!」と大興奮し、すぐそのコースに申し込みました。

当時はまだリフレクソロジーが日本に上陸したばかり。
「足裏~?ヤダー!」と友人に呆れられながら、私は、あるリフレクソロジースクールに入学し、“お稽古”を始めたのです。
これが、私が自然療法を学ぶ第一歩でした。スクールでは、イギリスで自然療法を学んだ先生から、初日にキッパリと言われました。
「人体のことを知らない人に、足に触れる資格はありません。まずは、解剖生理学と栄養学を自分で勉強してきて下さい」と。「なんだか、大変な所に来てしまった・・・」と不安に思う一方で、「そうそう!そう来なくっちゃー!」とワクワクしました。

それからは、休みの日はもちろん、通勤時間や会社の昼休みに必死に勉強し、スクールを卒業しました。この頃には、すっかり人体という小宇宙に魅せられ、次に学ぶものを既に決めていました。 元々興味のあったハーブ療法とボディトリートメントが同時に習得できるもの。・・・それは、アロマセラピー!

そして、「もはや“お稽古”ではなく、プロになる修行として、本場で一流の勉強をしよう!」と心に誓ったのです。 「本場で修行!」と言っても、インターネットも普及していない時代。学校を探す術も知りません。丁度その頃、大学の同窓会の会報誌に「イギリスにアロマセラピー留学中」という短信を発見!

「これは奇跡・・・?」という気持ちで、すぐにその方と連絡を取り、学校を紹介して頂きました。「アロマ・・・?何それ?」と唖然とする同僚、「こんな良い会社辞めて、絶対後悔するぞ!」と言う上司の反応もなんのその。それまで勤めていた会社にあっさりと辞表を出し、退職を決めました。

自分の送別会では「自分の選んだ道で絶対に成功しま~す♪」なんていうスピーチをして、その3日後にはロンドンのヒースロー空港に降り立ちました。

ガブリエル・モージェイとの出逢いにより、東洋医学と再会!

ガブリエル・モージェイ著
「スピリットとアロマセラピー」

「ご縁」だけを頼りに選んだアロマセラピーのスクール、それがInstitute of Traditional Herbal Medicine and Aromatherapy(ITHMA)。

校長のガブリエル・モージェイ先生は、IFPAの前身であるRQA(Register of Aromatherapists)の会長で、なんと鍼灸指圧師の資格を持つ東洋医学の専門家でもありました。 不朽の大ベストセラー「スピリットとアロマテラピー(フレグランスジャーナル社)」の著者、現在では「アロマセラピストで彼を知らない人はいない!」という程の超有名人なのですが、当時の私はガブリエルのことを知る由もありませんでした。

「一体、いつになったらアロマセラピーの話をするのだろう・・・」と思う程、ガブリエルはクラスの中で熱心に東洋医学の話をしてくれました。

「陰陽五行説」「気血水」「臓腑理論」などを学ぶうちに、「ああ、これは、ベトナムで聞いたのと同じことだ!ベトナムでオバチャン達が話していた健康談義は、実は東洋医学の深い理論に基づいていたのだ!」と言うことが分かり、感激しました。

 

例えば、レモンの精油について、普通のアロマセラピースクールなら、恐らくこのように勉強するのでしょう。

ところが、ガブリエルのスクールで当時私が取ったノートには、こうあるのです。

ここに出てくる臓器の名前は、東洋医学の臓腑のこと。東洋医学の臓腑は、西洋医学の臓器とは異なった考え方を持ち、精神面にも大きく関わります。例えば、「レモンの精油が肝の熱を冷ます」というのは、実際の肝臓に対する効果だけでなく「怒りやフラストレーションを抑える」といった感情面の効果も含まれています。 また「レモンの精油が脾気を高める」というのは、「精神の混乱を鎮め、地に足をつける」という意味につながるのです。

もう一つ、ガブリエルの授業で印象的だった例をあげましょう。
普通のアロマセラピースクールでメンタル面に働きかける精油と言えば、ネロリ、オレンジ、ジャスミンなどの「抗うつ作用」のある精油が挙げられるでしょう。ガブリエルは、決して「抗うつ作用」といった大きな括りでは説明はせず、「うつには色々なタイプがあって、例えば“五行の水のタイプのうつ”は無気力で怯えており、“木のタイプのうつ”は怒りと緊張に満ち、“火のタイプ”は神経過敏で自己評価が低く・・・」

と、「うつ」という症状ひとつとっても、五行説に当てはめ、1日中延々とガブリエル節が続くのです・・・。「手っ取り早く資格が欲しい」と思っていた数名のイギリス人生徒は、学校を離れていきました。

でも、私はガブリエル・モージェイの展開する東洋医学とアロマセラピーの世界観に、身震いするほど感動して、夢中になり、どんどんのめり込んで行きました。東洋医学を学ぶことは、心身の相関性を学びホリスティック(=全体的)に人体を見ることとつながっています。

ガブリエル・モージェイ先生と

初めて出逢ったアロマセラピーの先生がガブリエル・モージェイだったことは、私のセラピスト人生に大きな影響を与えました。本当に感謝しています。

そうそう、現在IMSIの同僚として一緒に働く嵯峨慈子先生は、ガブリエルのスクールでクラスメイトだったのですよ!

一緒に働く嵯峨慈子先生は、ガブリエルのスクールでクラスメイトでした!

いつもロンドンの図書館で朝から晩まで缶詰になりながら一緒に勉強した仲です。

「英語で東洋医学の授業?大変だったでしょ・・・?」とよく言われます。確かに、本を1ページ読むのに、辞典を引きながら1日かかってしまったり、授業がチンプンカンプンで泣きそうになったりもしました。でも、会社を辞めてイギリスまで来たのですから、とにかく前進あるのみ!

イギリス人の生徒たちも苦戦した卒業試験を、私も嵯峨先生も最短の6ヵ月でパスしてアロマセラピストのディプロマを取得しました。

失業・・・「絶対にセラピストとして生きていく!」と決意、そしてIMSIとの出逢い

帰国後、最初に就いた仕事は、日本橋兜町のカフェにおけるリラクゼーションスペースの立ち上げでした。顧客の殆どが証券会社で働く男性という、ちょっと特殊な環境が私のセラピスト活動のスタート地点。

15分のミニサービスだったのですが、生まれて初めてセラピーをしてお客様からお金を頂いた喜び、今でも忘れられません! お客様からもご好評を頂き、仕事は順調だったのですが、ある日突然親会社の方針により、このカフェが閉店となってしまいました。突然の失業です。

でも、かえって「絶対にセラピストとして生きていく!」という強い決意が芽生えました。 その強い気持ちが新たなご縁を引き寄せたのだと、今でも信じています。

次に面接に行った渋谷のサロンで、こう言われたのです。「講師をしてみませんか?」と。そこはスクール併設のサロンで、そのスクールこそが日本で初めての英国ISPA(現IFPA)認定校でした。 「自分が留学して取ったイギリスの資格が日本で取れる!だ!」と初めて知りました。

そう、IMSIの前身であるJNTCジャパンナチュラルセラピーカレッジです。JNTCは、初代校長がイギリス留学の後に関西で立ち上げた、日本のアロマセラピースクールの草分け的存在で、当時は東京に進出してきたばかり。

飯野由佳子先生

ここで、唯一の東京校専任講師だった飯野由佳子先生と出逢いました。華やかな外見ながら、すごいプロ根性!

自然療法はもちろんのこと、解剖生理学の知識が誰よりも豊富で、「日本のセラピストで、こんなすごい人いたんだ~!」と嬉しくなったことを良く覚えています。

実は、イギリスから帰国した当初、自然療法が日本ではクイックマッサージ的に位置づけられている現実に直面し、ショックを受けていたのです。 でも、飯野先生との出逢いによって、そのショックも吹き飛びました!そして、「どこよりもレベルの高い、日本一のアロマ・リフレクのスクールを創ろう!」と、二人三脚の日々が始まりました。

その後、会社の方針の変更があり、現在のディレクターが加わって、2002年にスクール名をIMSIザ インターナショナル メディカルスパ インスティテュートに改名、表参道に引っ越しをしました。

 

嵯峨慈子先生

ロンドンの五つ星ホテルや中医学クリニックで修行をして帰国した嵯峨さんも、満を持してメンバーに加わり、2002年にはアメリカNYから、2003年にはスコットランドから先生をお呼びして、海外来日セミナーも開催しました。

セラピストとして国際的なアンテナを常に張り続けること
「その道」の第一人者から直接学び日本に紹介すること

そんな使命を抱きながら西へ!東へ!と奔走する毎日。IMSIはその名の通りインターナショナルな自然療法総合学院として発展していったのです。

 

ロネ・ソレンセンに出逢って、東洋医学と再々会!

2004年、IMSIにとって運命の出逢いがありました。
飯野先生が、兼ねてから交流のあったスペイン在住・デンマーク出身のロネ・ソレンセン先生の元へフェイシャルリフレクソロジーの修行に行ってきたのです。

帰国後、飯野先生から聞いたロネ・ソレンセンという人物に、私は勿論のことIMSIスタッフ一同が度肝を抜かれました!「本当に人を助けることのできるセラピー」を求め続け、リフレクソロジー、鍼、キネシオロジー、クラニオセイクラル、レーザーセラピー、リハビリテーションテクニックなど、60種類以上の療法を学び、今も学び続けているロネ。

ロネ・ソレンセン先生(右)

医療従事者ではない「セラピスト」という立場でありながら、癌、脳性麻痺、多発性硬化症、ダウン症、てんかんなど・・・、現代医学では難しいと言われるクライアントに対して素晴らしい実績を挙げ、症例を世界に発信し続けるロネ。世界中から一日数百通も来る、難病の子を抱えた親御さんから助けを求めるメールに、寝る間を削って対応するロネ。

そして、これまでのフェイシャルセラピーの常識を覆すような、斬新なテクニック!
しかも、そのロネのセラピーの根底にある考え方が東洋医学にあるというのです!

実際、飯野先生に見せて頂いたフェイシャルリフレクソロジーの教本には、東洋の臓腑理論、陰陽五行理論、臓腑と感情のつながりなど、東洋医学のエッセンスが散りばめられていました。

例えば、「肺がんに対するアプローチは?」などという症状に対する質問に対して、ロネの一貫した答えは、「症状に惑わされず、原因に戻りなさい」と言うこと。これは、東洋医学の理念そのものなのです。

五行説において、例えば「肺」という臓器は、「脾」「腎」と相生関係でつながっており、「肝」「心」とは相克関係でつながっています。つまり、「肺」と無関係の臓器は一つもなく、全てつながっているのです。肺がんのように、一見肺の病と思われる臓器であっても、その原因は必ずしも肺にあるとは限りません。

それなら、原因はどこにあるのか・・・?それを、指先の感覚でもって探っていく、これがフェイシャルリフレクソロジーなのです。その後IMSIがIR認定校となり、同年にロネが初来日。そして2005年から日本で西国IR認定フェイシャルリフレクソロジー・ディプロマコースをスタートすることになりました。

ロネ・ソレンセン先生来日直接指導の様子

私自身も、IMSIでこのセラピーを学ばせて頂きました。生徒になってみて驚いたのは、「フェイシャルのコースなのに、ここまでやるの~!?」というすごい勉強量!イギリス留学時代に使った東洋医学の本を本棚から引っ張り出して学び直すよい機会となりました。それにしても、ガブリエルといい、ロネといい、西洋人なのに日本人以上に東洋医学に詳しいのには、本当に驚きです。

しかも、中国伝統医学の基礎理論を忠実に抑えながらも、自由な発想で、鍼灸を使わなくてもセラピストがきちんと結果を出せるようにアレンジしているのです! 一方で、IMSIで学ぶ生徒さん達から、こんな声も聞こえてきました。

「東洋医学、難しい・・・」
「東洋医学の本買ってみたけど、挫折しちゃったよ・・・」

生徒さんがロネの理論に感動して「東洋医学をもっと学ぼう!」と思っても、日本で売られている東洋医学系の本は、「これは中国語?」と思わせるような難しい本ばかり。 私は幸いガブリエルの学校で東洋医学をみっちりと学んでいたのですが、他の生徒さん達が苦戦するのも無理はありませんでした。

「セラピストが東洋医学を学べば、もっとホリスティックに人の身体を見ることができるのに」
「セラピストが東洋医学を学べば、もっと施術の結果が出せるのに」
「セラピストが東洋医学を学ぶことで、食事やライフスタイルについて、より深くアドバイスすることができるのに・・・」

そんな思いが募っていきました。この頃から、「私自身が、しっかり東洋医学を学んで、生徒さん達に分かりやすく伝えることが出来たら・・・?ちゃんと東洋医学を学べる場所は、どこだろう・・・?」と考え始めたのです。

ドクター・チャウとの出逢いにより、東洋医学を学ぶ宿命に気づく・・・

フェイシャルリフレクソロジーの
ステップ3でも使用されている
ディエンチャンのチャート

ロネとの出逢いは、IMSIにとって、更なる運命の出逢いをもたらしてくれました。

フェイシャルリフレクソロジーには、ロネが世界中から選りすぐった本当に効果があるセラピーとして、ベトナムの顔ツボ療法「ディエンチャン」のチャートが使われているのです! 私を自然療法の世界に招き入れてくれたベトナムの民間療法が、またもや私の前に姿を現しました。

それも、顔面にドーンと大の字の人体が乗っていたり、顔に内臓が描かれていたりと、目を疑うような奇想天外なチャート!「ベトナムに、まだ私の知らないセラピーがあったんだ!」と、心躍る気分でした。ロネは、ドクター・チャウと20年前にキューバで出逢い、この衝撃的なチャートをもらったのだそうです。

それを聞いて、私は、ドクター・チャウはキューバ在住の方で、連絡を取ることは不可能なのだと、勝手に思ってしまいました。ところが、2008年にベトナム旅行中、インターネット検索をしていたところ、ビックリ仰天!「Dr.Bui Quoc Chauのセミナー」というベトナム語の記事を見つけたのです!ディエンチャンの創始者の名前です!

 

ドクター・チャウ

恐る恐るその会場に電話をかけてみると、「本人の携帯にかけてください」と言うのです。そして、電話してみたところ、なんと、ドクター・チャウ本人につながりました!

翌日、ホーチミンにあるドクター・チャウの自宅に招かれました。現れたのは、満面の笑みを浮かべた、お肌ツヤツヤの元気なベトナム人。70歳近いと聞いて、その若々しさにとても驚きました。

私がベトナム語を話すことと、フェイシャルリフレクソロジストとして活動していることに好感を持って頂いたようで、私とドクター・チャウは初対面でも意気投合することができ、たくさんの話をしました。

何よりも印象的だったのは、ドクター・チャウの「ベトナム国民を病から救いたい!」という情熱でした。千年も中国の支配を受け、その後もフランス、アメリカに侵略されてきた歴史のあるベトナム。 病気になっても病院に行けない人たちを、なんとか助けようとドクター・チャウが学んだのが東洋医学だったのだそうです。

そして、鍼灸師として働いた後、誰でも簡単に自分や家族のケアが出来るよう、顔ツボ療法ディエンチャンを開発したのだそうです。ベトナム国民に貢献しようと奔走しているドクター・チャウの人柄、そして仏教、儒教、道教の思想など、東洋哲学がベースとなっているディエンチャンの深い世界に、とても感激しました。

ドクター・チャウと

それから、日本とベトナムを往復しながらディエンチャンを学ぶ日々が始まりました。ガブリエル、ロネ、チャウ・・・3人の師匠との出逢いにより、自分の宿命に気づきました。

「これらの師匠の理念を日本で伝えていきたい!そのためにも、東洋医学の考え方を日本でもっと普及させていかなくては!」そして「鍼灸学校に行こう!3年間みっちりと勉強しよう!」と誓いました。

鍼灸学校に入学、恩師ガブリエルとチャウ初来日の夢が叶う!

2009年に東洋鍼灸専門学校の夜間部に入学しました。月曜日から金曜日まで、午後6時から9時10分までの授業。

科目は、解剖学、生理学、衛生学、医療概論、関連法規、病理学、臨床医学総論、臨床医学各論、リハビリテーション医学などの西洋医学系の科目と、東洋医学概論、経絡経穴概論、東洋医学臨床論、はり理論、きゅう理論といった東洋医学系の科目、そして鍼灸実技の実習があります。鍼灸といってもいろいろなスタイルがあるのです。

筋肉に直接鍼を刺して電気をかけるといった現代的な治療もある一方、私が選んだ学校は、伝統的な治療を重視する学校でした。

脈を診て、舌を診て、お腹を診て、東洋医学的な問診をして、その人の体質を見極め、そして経絡を使って気血の流れを改善することで、根本から、心身の両方にアプローチしていくスタイルです。ガブリエル、ロネ、チャウが教えてくれた東洋医学、そして私の目指す自然療法と共通するものが、ここにありました。

勿論、人体に鍼を刺す実習は避けては通れません!最初は手作りの枕を練習台にして刺していたのですが、やがて自分へ、そして生徒同士で鍼を刺し合うことになります。巷には「痛みのない、細い鍼」なんて宣伝している鍼灸院もありますが、学校では、釘のような(!)太い鍼もしっかりと刺します!

お灸も、安全な温かいお灸ではなく、直接皮膚を焼く昔ながらのお灸です。「ギエ~!」という奇声が上がったり、倒れる人、泣く人も続出・・・、なんていう授業もありましたよ(笑)。

仕事でもチャンスが巡ってきました。
「2010年に日本で初めて開催されるIFPAカンファレンスにガブリエルを呼ぼう!」という声が社内で挙がったのです!ガブリエルは、日本のマクロビオティックに興味を持ったことから自然療法の道に入ったという大の親日家。

「日本人より日本食が好き!」と自負しているのに、ビッグネームであるが故に、恐れ多くてまだ誰も日本に招待したことが無かったのです。「まだ鍼灸学校在学中の私が、ガブリエルを日本に招待することが出来るのだろうか・・・?」という不安もありましたが、恐る恐るガブリエルに「日本に来てくれませんか?」と問い合わせてみると、答えは「Yes!」

「ヤッター!ガブリエルがやってくる!」と、天にも昇るような気分で喜んだことは、今でも忘れられません。

ガブリエル・モージェイ先生初来日セミナーの様子

2010年10月、ガブリエル・モージェイが初来日。

IFPAカンファレンスのスピーカーを務めて頂くと同時に、IMSIにて初来日セミナー「クリニカルアロマセラピー東洋医学的アプローチ」を開催しました。 ついに、ロンドンで私が感動したあの「ガブリエル節」を、日本に紹介することが出来たのです!

本よりも更に深い、ガブリエルの東洋医学的な人体の見方と精油理論には、日本のアロマセラピスト達も大感!!
「待ってました!ガブリエルを呼んでくれてありがう!」
「“スピリットとアロマテラピー”を読んでアロマセラピストになったので、本物のガブリエルに会えて感動しました!」
「イギリス留学したかったけれど、諦めていました。ガブリエルから直接学べるチャンスをくれて、ありがとう!」

と大反響を頂きました。
同年、ドクター・チャウを初めて日本に招待して、ディエンチャンディプロマコースを開講するという、もう一つの夢も叶いました。

「ベトナムの素朴な民間療法が、果たして日本で受け入れられるのだろうか・・・?」という事前の不安はどこへやら?200種類もの反射区チャートや100種類もの道具達、そしてサロンパスを切って顔に貼るという斬新な顔ツボ療法が生徒さん達に大ウケ!会場はベトナム料理店という異例のこのコース。

チャウ先生初来日セミナーの様子

独特なアットホームな雰囲気の中、毎日一緒にごはんを食べ、「クラスは家族」というベトナム式の一体感を感じることができました。出逢った生徒さん全員がドクター・チャウの大ファンに!笑いあり涙ありの感動の渦の中、無事コースが終了しました。

TOUCH FOR WORLD開催、そして、第4の師匠 インガ・ドーガンに出逢ってしまった・・・

念願だった東洋医学を学び、恩師であるガブリエル・モージェイとドクター・チャウの初来日が実現し「これで満足・・・」のハズ・・・でした(笑)。

2011年は、IMSIにとって10年の節目となる記念すべき年。
「TOUCHを通じて世界と繋がろう!」というコンセプトのTOUCH FOR WORLD International Weekを主催することになったのです。

第一回世界自然療法シンポジウム

メインイベントである第一回世界自然療法シンポジウムを東京外国語大学で開催することも決定しました。

初来日の特別ゲストとして白羽の矢が立ったのが、世界で唯一リフレクソロジーが国家資格の国、南アフリカのインガ・ドーガン先生です。インガは、医療行為として認められている“セラピューティックリフレクソロジー”の開発者であり、国家資格化の立役者。リフレクソロジーの臨床経験を地道に積み上げ、法律までも変えた伝説のリフレクソロジストです。

元々は飯野先生がイギリスで出逢い、国際部の絢子さんが繋いでくれたご縁を、初来日セミナーのオーガナイザーとして担当させて頂くことになりました。実は、このインガ・ドーガンもまた・・・、「バリバリの東洋医学の人」なのです!

2011年3月、初めて訪れた南アフリカ。
「地球の裏側で行われているリフレクソロジーのクラスは、一体どんな感じかな?」と楽しみにしていた私は、目を疑う光景に出逢いました。

白人、黒人、カラード(混血)、インド系と、様々な人種が入り混じるクラスで、「足の親指を通る経絡は?」という先生の問いに、生徒が一斉に「Spleen and Liver (脾経と肝経)!」と答えるのです。そして、生徒全員が全身を巡る経絡の流れをスラスラ言っているのです!

インガ・ドーガンが開発したリフレクソロジーは、反射区だけでなく足の経絡を利用します。例えば、足のくるぶし周辺の生殖器系の反射区に施術をする際、同時にくるぶし周辺に存在する腎・膀胱経の経絡も刺激するのです。経絡を併用することで、確実に電気信号を足から体の各部に伝えることができると言います。

自分の弱い臓器の経絡に刺激が伝わると飛び上がるほど痛いのですが、気分は爽快。短時間で足だけでなく、身体全体がポカポカと温まり、確実に効いていることが分かります。

「鍼や灸を使わなくても、経絡を刺激することによって、治療効果が確実に得られる」 これは、ガブリエル、ロネ、チャウの3人の先生の理論に共通することころです。

インガ・ドーガン先生と

「何故、経絡を活用するのですか?」という私の愚問に対して、インガはニッコリ笑って「効果があるから!」と答えました。自身の不妊症をリフレクソロジーで克服し、リフレクソロジストになって30年のインガは、「私は30年間一度も病院に行ったことがない!健康保険にも入っていない!リフレクソロジーがあるから!!」と仰います!

こ、これは、もう・・・セラピーマニアとして、我慢できません!「弟子にしてください!」って言うしかありません(笑)!2011年11月、TOUCH FOR WORLD International Weekが開催され、インガ・ドーガンの初来日セミナーが実現しました。

予想を遥かに超える50名近くの受講生が参加され、南アフリカでは治療行為として行われている経絡リフレクソロジーのテクニックが日本で初めて披露されました。治療行為として認められているとはいえ、正真正銘のリフレクソロジー、道具も何も使いません。オイルやパウダーさえ不要。使うのは、セラピストの手だけ。

地道に一つ一つの反射区に加えて経絡をシッカリと刺激していくのです。それなのに、「痛い~!」と叫ぶ生徒さん、「冷え性だったのに、足がポカポカ~!」と喜ぶ生徒さんなど、教室中は大盛り上がりに!

経路をシッカリと刺激していく独特な手技に皆さん大喜びでした!

笑いの止まらない、楽しいクラスになりました。プロのリフレクソロジストも、「リフレクソロジーって、こんなに効果があるんですか~?いや~知らなかった!」とビックリされていました。

勿論、法律の違う日本では、クライアントに治療効果は謳えません。でも、セラピストが経絡を使うことで、未病のうちに病気を治し、症状の軽減につなげることができるのは確かです。このインガ・ドーガンの1dayセミナーが、日本のセラピー界に一石を投じる内容だったことは間違いありません。

インガは、セミナー終了後、こんなことを言っていました。
「日本の生徒は礼儀正しいし技術も丁寧だし、素晴らしい!でも、日本人は東洋医学に詳しくないの?折角東洋に住んでいるのに、モッタイナイ・・・」
「そうそう、それこそ私のテーマなんです!」と、つい力が入る私。

「日本のセラピストが東洋医学を学べば、もっと結果を出すことが出来るのに。東洋医学、そしてインガのメソッドを、もっと日本に伝えていきたい!」インガにそう宣言しました。

現在、そしてこれからのこと

南アフリカのリフレクソロジーを通信教育で受講中です。

現在、晴れてインガ・ドーガンのアカデミーに入門し、南アフリカのリフレクソロジーを通信教育で受講しています。鍼灸学校を卒業した途端、新たな2年間のプログラムが始まったのですから、休む暇はありません(笑)。

いつの日か、南アフリカのリフレクソロジーコースを日本で開講することを目標に、毎朝早起きして勉強を頑張っています。

IMSIでは、以前から開講していた「東洋医学とアロマセラピーワークショップ」をリニューアルしてスタートしました。「セラピー初心者には手取り足取り、どこよりも懇切丁寧に教えます!
“いくら学んでも満たされない”というセラピー上級者には、“これでもかー!”と言うくらい、とことんディープでマニアックな世界にお連れします!!」というのが講師としてのモットー。

最近は、IMSIにもセラピー上級者の生徒さんが増えてきましたので「学んだ東洋医学知識を元にガブリエル、ロネ、チャウ、インガの4名の先生達と密に交流を図って、また新たなマニアックなネタを仕入れよう!」と企んでいるのです。大好評だったガブリエルのコースは2012年も勿論開講します。3年目の今年は、念願叶ってガブリエル直接指導による、実技のサーティフィケイトコースとなりました。

ドクター・チャウのディエンチャンディプロマコースも3年目。こちらは、初のアドバンスコースが開講します!勿論、TOUCH FOR WORLD International Weekは2012年以降も続きます!

これからまだまだ、IMSIでやりたいこと、生徒の皆様に伝えたいことが沢山あるのです!肝心の鍼灸ですが・・・。ガブリエルやチャウも、鍼灸師資格を持ちながら今は殆ど使っていないそうですので、私もそうなってしまうかな・・・?と予想しています。刺さなくても充分に効果があることが分かっているし、クライアントに「ああ、気持ちよかったー!」と言われる自然療法が、やっぱり好きなのです。

とはいえ、ギックリ腰などの痛みや急を要する対処には鍼灸を使っていきたいと思いますので、技術の鍛錬は怠らずに続けていきたいと思っています。出張鍼灸師免許の登録もしました。沢山の素晴らしい出逢いとご縁に恵まれたお陰で現在の自分があることを、とても感謝しています。

このコラムの最後に、ひとつ私の夢をお伝えしたいと思います。2011年のTOUCH FOR WORLD International Weekでインガと共に来日したイギリスは、クリスティーホスピタルのピーター・マッカレスが、こんなことを仰っていたのです。

 

ピーター・マカレス先生初来日セミナーの様子

「癌ケアの現場では、日々セラピスト達が行なっている施術の効果をしっかりと臨床データとして残し、学会や専門誌に発表し続ける。エビデンスとして認められれば、組織運営の充実や寄付金集めにもつながり、結果として、より沢山の患者さんが満足のいくサービスを受けることにつながる」。

ここ10年間で、日本において自然療法は目覚ましいほどに普及してきました。ここから先は、業界全体を底上げしていく必要があります。そのためには、ピーターが言うように、自然療法のエビデンスをしっかり取って世間に発表していくこと、そのための言語をセラピストが持つことも必要だと思うのです。

幸い、鍼灸学校では、東洋医学だけでなく、西洋医学系の勉強もみっちりさせて頂きました。 勿論、自分ひとりでは何も出来ないことは分かっています。 でも、「周りの協力仰ぎながら、日本の自然療法が一歩でも二歩でも前進することを目指して、自分の力を使っていきたい・・・。

これから10年くらいかけて、周囲のセラピスト達と一緒に自然療法のデータを取ってまとめ、世に発表していくことが出来たら・・・?」と考えています。言葉はおこがましいですが「“自然療法界の生き字引”となって日本のセラピストのお役に立てたら良いな・・・?」なんて考えているのですよ。

セラピストとして、講師として、これからも頑張っていきます!

そのためにも、まだまだ勉強!!セラピストとして、講師として、これからも頑張っていきたいと思っています。長い間、私のストーリーを読んで頂き、ありがとうございました。

IMSI受講生の皆さん、スクールで見かけたら気軽に声をかけてくださいね!これからもどうぞよろしくおねがいします。

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